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インタビュー 坂本昭夫さん

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坂本さん

坂本昭夫さん Akio Sakamoto
「海をつくる会」事務局長
35年前から、全国の海や湖の海中清掃をおこなっている。
ダイビングによる清掃は1500回以上。
東日本大震災後は、海中清掃のエキスパートとして東北沿岸部の瓦礫撤去作業にも尽力。
2000年からは横浜で「アマモによる海の森づくり」を開始。
現在、アマモ場は5ヘクタールに広がり、海は豊かな生態系を取り戻しつつある。
その取り組みは、世界中の海洋研究者から注目されている。

―あなたにとって、海はどんな存在ですか?

ぼくの父は、マグロ漁船に乗っていた海の男だったんですよ。
一度、海に出たら三年は戻らないような人でした。
そんな長い航海では、船が壊れてしまったら、どうにかして、海の上で直すしかありません。
だから腕のいい修理工はあらゆる漁船から声をかけられるんですが、
航海のたびに船を変えていた父は、
まさに、超腕利きの船の修理工だったようです。

そんな父の影響もあったのか、ぼくは、商社マンになりました。
世界中ほとんどの国に行きました。
そして、世界中のあらゆる海にも潜ってきました。
日本にいると信じられないような、
本当に透き通ったキレイな海が、地球のどこかにはあるんです。

海って、ひとつなんですよ。
世界を知れば知るほど、海は、つながっていることを実感します。
ぼくはキレイにしたい。
ぼくが生まれた日本で、キレイな海を見たいんです。

―海の中を清掃して35年

 

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今は毎週のように日本中の海や湖に潜って清掃しているんですが、
最初に始めてからは、
じつは、もう、35年になります。

子どもだった頃は、毎年、父の実家のある高知県の海で泳いでいました。
室戸岬の海が目の前にある家で、
夏休みになると、ひとり、一日中泳いで遊んでいました。

ダイビングに出会ったのは偶然といえば偶然で、
横浜の実家のすぐ近くに、ダイビングショップがオープンしたんです。
すぐに、ダイビングの楽しさにハマりました。

それで、自分たちでダイビングのサークルをつくって、
西伊豆の大瀬崎で、
よく、トレーニングしていたんですね。

ちょうど、紙からビニールへと包装用紙が変わる時代でした。

海に潜るたびに、ビニール袋が増えているんですね。
これではダイビングも楽しめないと、
あるとき、メンバーの女の子が言ったんですね。

それで、ぼくたちのサークルでは、
海に潜ったら、最初に、ビニール袋を拾ってから、
そのあとで、
ダイビングを楽しむようにしたんです。

それがぼくにとっては最初の海の中の清掃です。

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35年前、ぼくはまだ、23歳でした。
地元でデートをしようと山下公園でも歩けば、海が、くさいんですね。
ベンチにも座れない。
横浜の海は、ドロドロで、色は茶色だったんです。

これはなんとかしたいと横浜市に電話しました。
そうしたら、ちょうど同じようなことを考えていた人たちがいるらしい、と。
今度、第一回目の海中清掃をするので、
そこに合流したらどうですか、と言われたんですね。

初回こそ別の用事で行けなかったんですが、
ぼくは二回目から、山下公園の海の中の清掃に参加しました。
それから35年です。
最初のころのメンバーで残っているのは、ぼくだけになってしまいました。

ダイビングで潜って海の中を本気で清掃しようなんてチームは、
今でもほとんどありませんが、
35年前なんて、まったくありませんでした。

ぼくにとっての出発点は、ヘドロだらけの山下公園ですから、
いま、「東京湾が汚い」なんて言っても、
いやいや、と。あれから本当にキレイになったんです。

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―あなたにできること

東京湾のゴミはどこから来ているのか、知っていますか?
もちろん海を漂ってきたゴミもありますが、
その多くは、じつは、川から流れてきているんですね。

良かれと思って川にゴミ箱を設置していても、
そのゴミ箱が風で倒れて、
すべて海に流れてしまっていることも、よくあります。

海の中のゴミを拾っていたら、
どんどん、海についての知識が増えていきました。

出会いもあります。

ぼくが出会った神奈川の漁師さんに言われたんです。
「昔の海にしてくれよ。ここ一面、アマモ場だったんだよ」って。
漁師さんが子どもだった頃、
晩御飯のおかずを取ってくるように言われて、
アマモ場に行くと、アマモの上に毛ガニがいたっていうんですよ。
足元を探ればカレイが採れたって。

アマモというのは、海草のひとつなんですね。
「海のゆりかご」と呼ばれていて、
水質をキレイにしてくれるだけじゃなくて、
魚の隠れ場にもなって、海の生態系にとっては重要な海草だとわかりました。

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アマモは、もともと、東京湾にもいたんですが、
護岸工事や工場排水の汚染で、
いつのまにか、生息できずに消えてしまっていました。

それで、1本1本、植えました。
横浜の海に。
2000年にスタートして、もう、15年が経ちました。

アマモを次々に植えていって、いま、5ヘクタールになりました。
東京ドームぐらいの大きさの森が、
横浜の海の中に、広がっていることになります。
たぶん、びっくりしますよ。
アマモの森が出来たら、たくさんの魚が海に戻ってきたんです。

人間の手で海にアマモの森を作って、
それで、魚の生態系を取り戻した世界初の成功例です。

アマモは、どこに植えたら育ちやすいのかという研究結果がまだありません。
だから世界中の研究者も注目しています。
よく聞かれます。
どういうところで育って、どういうところで育たないのか。

ぼくは学者じゃないから、
その答えは、感覚、としかいいようがありません。
15年間、1本1本植えてきて、
「ここなら育つ」というような勘が不思議と当たるんですね。

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横浜の海から飛び出して、
今度は、湘南に海の森をつくるプロジェクトもスタートしました。
日本中の海に、
アマモが増えれば驚くほど海はキレイになるはずです。

20代、30代、40代と、
「海をつくる会」のメンバーは世代を越えて集まってきました。

ぼくは、海の中の清掃も、海の森づくりも、
死ぬまでやって、それで、バトンタッチしたいですね。